樋口一葉菊坂旧居跡
文京区本郷4丁目32
父の死後、母と妹を養いながら半井桃水の指導のもと小説を執筆した。
旧伊勢谷質店
文京区本郷5-9-4
一葉が生活が苦しくなるたびに通った質店。一葉の葬式に伊勢谷質店から香典が届けられた。
樋口一葉終焉の地
文京区西片1-17-8
雑貨屋を閉じた後ここに移り住む。隣の銘酒屋の女性をモデルに「にごりえ」が生まれた。
小説家・歌人
現代では、5000円札の人として知られる。
小学生の首席になるなど子供の頃から優秀だったが、母親が女性に学問は必要ないという考え方だったので、
11歳の時に学校を退学。
日記に「悲しく辛いことだった」と書くほどショックな出来事だった。
落ち込んでいる一葉を見かねた父親が、一緒に和歌の通信教育を受けたり、歌塾「萩の舎」に入塾させる。
一葉は熱心に和歌を創作する。
しかし、17才の時父親が事業に失敗してたくさんの負債を抱えたまま病死してしまった。
長男が早くに亡くなっていたので、一葉が家督を相続。
たくさんの借金を抱えてしまう。
さらに追い打ちをかけるように、許嫁の渋谷三郎が婚約を破棄。
理由は多額の負債。樋口家から援助を受けること前提の婚約だったため。
なんと夏目漱石との縁談も持ち上がっていたが、こちらも借金が理由で破談になったと言われている。
一向に火の車の家計に悩んでいたが、同じ塾の田辺花圃が小説を書いて原稿料をもらった話を聞いて、小説家を目指し始める。
執筆活動を始めた一葉は新聞記者で小説家の半井桃水に弟子入り。
しかし、二人は男女の関係にあると噂されてしまい、一葉は桃水に絶交を告げに行く。
ますます生活が苦しくなった一葉は雑貨屋を開く。
近くに遊郭があり、そこで暮らす一生懸命生きる少女の姿は、一葉が描く作品の方向性を定めることとなった。
その後、雑貨屋を失敗に終わったが代表作「大つごもり」や「たけくらべ」を発表。
この、「大つごもり」から「うらむらさき」が発表された十四ヶ月は「奇跡の十四ヶ月」と言われていて、
この時期に優れた作品をたくさん出している。